私は映画が好きである。
映画は短時間に濃縮された非日常体験。心揺さぶられる感動があり、未知なる価値観や文化を知るきっかけになり、平凡な暮らしの中に比較的手軽に取り入れられる「人生を豊かにするスパイス」のような存在。普通に生活しているだけでは体験できないことも、映画の世界を追体験することで自分のもののように感じることもできる。
脳がネットにつながる近未来SF映画、耳元で爆発音が鳴り響く戦争映画、世界を縦断するアドベンチャー映画、ゾンビや異星人襲来のパニック映画、異国の言葉でささやき合う恋愛映画・・・さまざまなジャンルの映画がある中で、私は今年の春「人生フルーツ」というドキュメンタリー映画に出会った。
一見どこにでもあるような日常的な風景、だけどここには誰にも簡単には真似できない芯の強い生きざまがあった。長年寄りそう夫婦でありながら雑さがなく相手を尊重する優しい会話や所作。こつこつ丁寧に自らの手で暮らしを作り上げる行動力と信念。自然の恵みや人とのつながりに感謝し、愛情や信頼をおしみなく交感する関係性。素敵な暮らしと夫婦の関係に自然と涙がこぼれた。
だけどふと思う。豊かな生活ってなんだろう?幸せってなんだろう?畑を耕し自らの食事を自らが直接生み出す事が豊かなのか?なんでも自分で作り、時間をかけてこつこつ丁寧にやることが豊かなのか?私はこの夫婦のように畑も耕せないし刺繍もできないしお料理もそこそこにしかできない。飽き性だしテクノロジーに頼りたいし面倒な事はなるべくさぼりたい。自然と共に生きるこんな生活に憧れながらも、本当にそうしたいかな?と自問自答する。そうできない私は豊かではないのか・・・?素敵な夫婦の物語に感動しながらその一方で「私にとっての幸せとは」をふと考えた。この夫婦と私は違う。でも豊かで幸せであることに自覚はある。それはなんなのか・・・その思考をめぐらすことが映画を観ることの一番の意味なのだ。
人それぞれの豊かさを知り、自分との違いを知り、憧れたり共感したり時に批判したりしながら、こんな人生もあるんだねと心に留める。もしかしたらこの映画をみてイチゴやじゃがいもを育て始める人もいるかもしれない。パートナーをさんづけで呼んでみたり、建築家を目指したり、鳥に水鉢を用意する人もいるかもしれない。一方で、趣味に精を出そう、仕事をがんばろう、新しいことにチャレンジしてみようと、映画とは直接的に関係ないけれど何かを見つける人もいるかもしれない。私はこの映画を見て、好きな人を大切にしよう、自分が好きな事をやろう、一般論ではなく自分が思う幸せを感じられる暮らしをしよう、そんなふうに思った。そしてそんなポジティブで優しい気持ちを持つきっかけとなったこの映画の話を誰かと話したいと思ったし、話すことそのものが幸せの一つなのかもしれないと感じた。
誰かと語りたくなる映画は良い映画である。
この自主上映会は私の自己満足であり、ごく個人的な幸せの共有と拡散であり、そうでありながらもきっと観た人みんながほっこりする何かを感じられるだろうという確信的なギフトでもある。
みなさんがこの映画で感じたことが、きっとそれぞれの暮らしの豊かさに繋がっていくと思うと私も嬉しい。
初めての自主上映会を助けてくれたスタッフ、協賛して頂いた方々、ご来場頂いた皆様、きっかけをくれた「人生フルーツ」という映画に感謝します。そしてまた別の素敵な映画に出会えたらここで再びお会いしましょう。
長月/オゼキカナコ
カテゴリー:日々のこと